テトラの日記
私は玄関にて、ゆういちの帰りをお待ちしておりました。
午前二時過ぎ、ゆういちは大変やつれたようすで帰宅しました。ドアを閉めるなり、彼は私と目を合わせたままぼんやりとしていました。
「おかえりなさい、ゆういち。」
私が手を広げると、彼は半ば倒れるようにして抱き着いてきました。私はロボットなので、ゆういちに全体重をかけられても余裕のよっちゃんです。ゆういちが私にもたれたままピクリとも動きませんから、体重を測定しました。昨日より3kg痩せていました。
「おまちしておりました。今日は大変遅い帰宅でしたね。昨夜の帰宅時間から2時間オーバーしています。」
背中をなでると、彼はぼそぼそと言葉を発しました。普通の人間の聴力ならば、聞き取れないほどに小さな声でした。しかし私はロボットなので、彼の発した言葉をきちんと認識することができました。
「テトラ、でかけようか」
彼はそういいました。
ゆういちが外出に誘ってくださるのは大変希少なケースであり、大変喜ばしいことです。行かないわけがありません。
「もちろんです」
笑顔で応じる私に、彼もつられて笑いました。じゃあ行こうか、と出発を促す彼の手を握りました。彼の手は大変暖かく、柔らかいのです。コドモタイオンなんだ、と教えられています。ゆういちはコドモタイオンなのです。
彼は私を自転車の籠にのせて出発しました。前方が見えづらくならないか心配に思いました。不安げに見つめる私に気付いたのか、ゆういちは
「少しでも長くテトラを見ていたいんだ」
と恥ずかしそうに言いました。ゆういちへの大きな愛が発生しました。
愛おしいゆういちを少しでも長く見ていたいので、私は後ろを振り向いてひたすら彼を見ていました。午前二時を過ぎるとさすがに人気が少なく、辺りはとても静かでした。ゆういちの黒い髪は、夜風をうけてそよそよとなびいていました。再び愛が発生しました。自動販売機の明かりが一瞬ゆういちの頬をあかるく照らしました。目の下に刻まれた深いくまが、痛々しかったです。
到着したのは、古めかしい銭湯でした。ゆういちは、私を抱えて籠からおろしました。地面に降り立った私はゆういちの手を握りました。彼と一緒にいるときはできるだけ、彼に触れていたいのです。
ゆういちはぼんやりと歩いていたのか、温泉のマークがプリントされたのれんに衝突して悲鳴をあげていました。私がのれんをめくると、彼は顔を赤らめてぺこぺこと頭を下げました。成人男性とは思えない愛らしさを、彼は持っているのです。
引き戸をあけたゆういちは、先に私を室内へといれました。以前私は彼のこの行動を大変疑問に思ったので、意図を尋ねました。すると彼は、レディーファーストだよと教えてくれました。ゆういちはレディーファーストができる素敵な大人なのです。
券売機で家族風呂のチケットを買い、私たちは店員さんに案内された個室へと向かいました。古めかしい外観に似合わず、脱衣所は清潔が保たれていました。私たちはさっさと脱衣をして、浴場へむかいました。ゆういちは、二人で入浴をする際はいつも下半身にタオルを巻きます。理由は、察してくださいとのことでした。私はいまいち察する能力に欠けていますので、日々精進していきたいと願う所存です。
ゆういちは、お湯に足をいれるなりため息のようなものをつきました。なので私も真似して、口腔内の空気を吐き出しました。
「ゆういち、このお湯は大変暖かいですね」
「家ではほとんどシャワーだからね」
しばらくの間、ゆういちはたっぷりの熱いお湯を贅沢に堪能していました。そんなゆういちの背中に、わたしはぴったりとはりついていました。彼の体は大変貧相なので、彼の胴体には容易に腕をまわすことができます。背中に耳を当てると、彼の心音、呼吸音が聞こえてきて、大変素晴らしいと感じました。ゆういちは、生きてる。
お湯に浸からず外気にさらされている私の肩に、ゆういちはお湯をたらしました。私の肌は防水加工を施されているため、お湯を一滴残らずはね返しました。それが大変面白かったのか、ゆういちは嬉々としてお湯を私の肩にたらし始めました。
「すごいな、油塗ったフライパンみたいだ」
ゆういちの発想がやや女性的だったので、少々おかしく笑ってしまいました。
「そうですよ、自慢の防水加工ですから」
「なんどやっても楽しいな、テトラの肌に水たらすの」
「楽しんでいただけて、私も大変うれしいですよ」
そうして私たちは、手で水鉄砲をしたり、お湯をかけあったりして遊びました。ゆういちの手は大きいので、水鉄砲をするとよくお湯が飛びます。しかし私はロボット。狙いを定めた場所に的確にお湯が飛んでいきますし、天井にまで届くほどの威力をもった水鉄砲ができます。ゆういちは、君には負けたよと言って私の頬をぷにぷにとつつきました。私も真似をして、ゆういちの頬をぷにぷにとつつきました。ゆういちは痩せているので、硬い頬をしていました。
お湯からあがり、早々と体を洗い終えた私たちは、ほかほかとあたたかな湯気に包まれながら浴場をでました。着替えをもってきていなかったので、着てきた服をそのまま着ました。
待合室にあった自動販売機で、ゆういちはコーヒー牛乳を購入しました。ふたりで分け合って飲みました。私は味覚がそこまで発達していないので、味はよくわかりませんでしたが、ゆういちが「涙が出るほどうまい」と言っていたので、これは大変おいしい飲み物なのでしょう。
待合室にいたおじいさんは、私を物珍しそうに見て、「こんばんは」と声をかけてきました。「こんばんは」と挨拶を返すと、おじいさんは拍手をしました。
「大変賢いロボットですね、いくらでしたか」
ゆういちは、突然おじいさんに話しかけられてやや戸惑っている様子でした。
「私は中古品ですので、16万円ほどご準備いただければ購入できますよ」
私が代わりにお答えすると、おじいさんは再び拍手をしました。ゆういちは、あまり嬉しそうではありませんでした。うれしいどころか、悲しそうでした。
「俺、この子のことを本気で愛してるんです。なので、その…」
ゆういちは、私の肩を抱き寄せました。
「ロボット扱い、しないでいただけますか」
おじいさんは、少し固まった後、すぐに謝罪しました。
私はゆういちのことが大変いとおしくて、あまりにも愛おしすぎて、故障してしまいそうになりました。
背後のテレビから、放送休止の機械音が流れ始めました。受付であくびをしながら新聞を広げているおじさんの湯飲みから、ゆったりと湯気が立ち上っていました。受付横のラジオから、ノイズ交じりの演歌がながれていました。ゆういちは、私の肩に頭をうずめました。彼のシャンプーの香りが、私に幸福を発生させました。今なら世界のすべてを愛してしまう、そんな気持ちになりました。確かに私はその時、私たちを取り囲む環境のすべてに愛を感じていたのです。
いつまでもこの幸せが続いていくことを推測して、私は大変うれしく思いました。
6/7 AM5:48:32